ストロマトライト

 STROMATOLITE  5.13c 2018年9月28日                  撮影:石井幸恵
  
「30年の時間(とき)を経て」

 湯川の岩場の開拓は1986年、日本モダンクライマースクラブ(JMCC)によって、バンパイヤ(5.10c)、テレポーテーション(5.10d)、サイコキネシス(5.10d)などのクラックルートが行われた。今でもこれらのルートは、クラッククライマー達にとって絶好の練習課題となっている。2年後の1988年、流星カンテ(5.12b)、オーバーパワー(5.12a~bTR)、寺島フェース(5.12b~cTR)など、柱状節理のクラックとクラックの間を埋めるフェース部分の開拓がされた。
 クラックルートに対し、これらフェースルートは現在では殆ど登られなくなってしまったが、バランスとパワーの両面が必要とされる、実は内容豊かなルートだったことが思い起こされる。当時のフェースルートの開拓に於いて使われたボルトは、そのほとんどが工業用のオールアンカーやカットアンカーだった。しかし、湯川の軟らかい凝灰岩では「プロテクションとしての信頼度は薄い」という理由があり、また湯川と言えばクラックのエリアという印象が強く、その後トライするクライマーが徐々に減少し登られなくなったという経過がある。
 今回わたしが登ったラインは、テレポーテーション右の美しくスッキリとしたフェースで、1990年に中根穂高、岡田秀一らによってボルト5本が設置され、トップロープでトライされたが、長らく放置された状態になっていたものである。最初のトライは3年程前、テレポーテーションにトップロープを張り講習会をしていたとき、空いている時間に何気なく触り始めたのがきっかけだった。
 白髪鬼」を登ってからの30年の時間(とき)を知らしめるように、壁は苔でびっしりと覆われていた。その苔を剥がしながらトップロープでトライしてムーブを解明していくに従い、自分自身の中で忘れかけていた「挑戦」という文字が徐々に目覚めてきた。やがてそれは覚醒し「初登」へのモチベーションとなった。 「このルートを登るに値する躰と精神が欲しい」。以後、体調管理に努めトレーニングに励んだ。T-wall江戸川橋で店長の岩崎さんとのキャンパシングのトレーニング、食事に関する勉強をして体重を30年前の状態に戻した。アルコールの摂取も絶った。トレーニングの成果が現れるまでには二年以上掛かり、ようやくほぼ全てのムーブが解明された。リードする段階に達して、プロテクションの設置は当時の鉄のオールアンカーから、7本の10mm×120mmの全ネジ・ステンレスをケミカルで固めたものにした。
 壁の傾斜は薄被りで、ルートの長さは約16メートルと比較的短い。下部の垂壁の繊細な登りから、中間部の小ルーフを越えるスローパーからポケットのパワフルムーブ、さらに上部のワンフィンガーポケット周辺がトリッキーなリーチムーブと、全体に多彩なムーブが散りばめられている。またフットホールドが細かく足さばきが微妙なため、どのパートでもスリップフォールの可能性が潜んでいる。レスティング・ポイントが限られ、ルートの短さを感じさせない持久力が必要となる。
 そして遂に、今年52日にレッドポイントに成功した。意外とあっけなくリードは3日間、5回目のトライだった。当初「5.13ab」として発表する予定でいたが、その僅か数日後、第2登を目指してトライをした杉野保が、中間部の大切なアンダーホールドを欠いてしまいルートはリセットされた状態になった。この中間部のアンダーホールドの欠落によって、ロープクリップが非常に悪くなり、クイックドローの長さ調整も成功の鍵を握るものとなった。核心ムーブの難しさが増したことにより、ルート全体としてのクオリティーが更に高まったと同時に、自分自身にも更になる努力が必要となった。モチベーションも「グッ」と上がった。
 わたしは、2度目のレッドポイントをすべくトライを開始したが、今年は5月末から記録的猛暑の日が続き、岩場のコンディションは悪くなる一方だった。午前中は湿度が高く、午後はルートに日が当たるためホールドが温まってしまう。7月~8月は満足にトライできる状態ではなく、9月に入ると今度は秋雨前線の影響で、岩場全体が湿りさらに状態が悪くなった。自分自身の体調もままならないトライと比例するように、昨年12月に断裂した左肩の棘上筋腱板の夜間痛の回数が増えた。それでも何度かトライを重ねたがどうしても、中間部のクリップからスローパーの切り返し、ポケットへの一連のムーブが上手く繋がらない。だが、ようやく鍵となるホールドの発見や足位置の微調整を行い、レッドポイントの可能性が見えてきた。しかし、10月初めに肩の手術を行うことが決まり、9月中旬から下旬のアメリカスミスロックに行きを考えると、レッドポイント・トライのできる日は帰国後のワンチャンスに限られてしまった。
 アメリカから帰国後の928日、ヤマケイ連載の写真撮影で小川山のセレクションを登り、湯川に移動してクラックの写真撮りをした後、夕方最後の一発トライをした。先日他界した格闘家・山本KIDの「体はリラックス、頭はピリピリ」の言葉を思い起こし、頭のなかでルートをもう一度トレースして静かに取り付いた。ホールドはやや湿っていたが、「ルートと闘うのではなく自分を受け入れてもらえるよう」集中を切らさないことだけを心掛けた。スミスロックでもこのルートを意識してトレーニングして登っていた。中間部の核心をこなして不安定なレスト、ワンフィンガーポケットからそしてついに最後のホールドを掴み登りきることができた。近年の高グレードルートと比較すると、難易度的には見劣りするかもしれないが、このルートは質的には申し分ないとの自負はある。
 自分自身、11年前に頸椎の手術を行った頃から長い期間、5.13というグレードから遠ざかっていた。今思えばこのルートをトライすることが即ち、以前の自分を取り戻すことだった。目の前にある課題にひとり対峙し、常に「挑戦」する姿勢を持つ者が「クライマー」であって、それに向けて日々自らを前進させる努力を惜しまない。人はそれをストイックというかもしれないが、情熱をキープし、最後まで諦めず一手上を目指し「1日1ミリ」前に進み続ける精神が「クライマー魂」である。そんなことを改めて感じさせられた月日だった。


ルート名の「ストロマトライト」とは、海岸の浅瀬に生育するシアノバクテリアの死骸によって作られる岩石で、一年で数ミリ程度しか成長しない。先カンブリア時代このバクテリアによって大量の酸素が地球上にもたらされた。いま我々が呼吸しクライミングできるのもこの原始生物のお陰である。