?EL CAPITAN


EL CAPITAN  エルキャピタン垂直のクルーズ

垂直のクルーズ
『これらのルートの重要性は、おのおのの難度にあるのではなく総体的な意味にあるのだ………彼は楽しみを求めて登山した――
筋肉、神経,精神の力強い屈伸から生ずる深遠な喜びと、人間はどこまで困難と危険に満ちた垂直の領域に入り込めるかを知るために登山した。』
                        ハケット‐スミス 1882年

トランゴから
 一昨年夏は、生涯忘れることのできない、とんでもない夏だった。27日間も壁に張りついていたグレート・トランゴ登攀。ネームレスタワーでの南裏の救出。心も身体もぼろぼろに疲れはて,帰国後は5.8からトレーニングをしたほどだった。そして、高所でのビッグウォ-ルクライミングは、常に生と死と背中合せの行為だということをつくづく思い知らされたのだった。
 昨年の夏はカリフォルニアの乾いた風に吹かれ、のんびりクライミングすることにした。それと少しばかり真面目な理由としてトランゴでの反省をふまえ、もう一度初めからビッグウォ-ル技術を練習して、もっと多くの経験を積む必要があると考えたから
である。そんなわけで、ウジウジジトジトの梅雨がやってくる前に、日本を脱出した。 5年振りのヨセミテは懐かしく、独特の植物のかおりも以前とかわらない。トランゴ・タワーズの迫力ある壁たちを見慣れたあとでも、エル・キャピタンはでかいなあと感心してしまう。
 まずは笹倉孝昭とノーズに行ってみることにした。実をいうとぼくはまだエル・キャピタンのどのルートも登ってはいなかったのである。小川山に例えるなら、エクセレント・パワーを登ったあと、小川山レイバックをやるようなもので--今は現実にそんなクライマーがいるかもしれない--正しい技術というものを踏んでいなかった。ところが、ノーズには思ったより苦労させられた。途中で追い越したオーストラリア人に「ビッグウォ-ルは初めてかい?」などと聞かれる始末で、笹倉と苦笑いして「イエス」と答えた。見ればぼくらの装備は何もかも新品で初心者まるだしだ(湾岸戦争のあおりでこのときはまだトランゴの隊荷が返ってきていなかった)。
 ノーズは世界一(?)ポピュラーなⅣ級ルートだけあって、ビレイ点もしっかりしていてルート中の残置ピトンも多い。リードそのものはそんなに難しくないが、その分振り子や荷上げが大変で、一枚岩の花崗岩の露出感に身をさらすには最高のルートだ。
ネイリング(ピトン打ち)こそないがビッグウォ-ルの原点であり登竜門であることは確かだ。このルートが拓かれたのは1954年である。ヨセミテのビッグウォ-ルの歴史はまさにここに始まったといえる。
 次なるステップはシールドにした。これはヒビデオ撮影をかねたもので、ヨセミテのクライミングを1本のビデオ・ソフトにするためのもの。南裏を加えた3人で登りながら8ミリビデオで登攀シーンを撮り、武藤昭氏たちがメドウ(下の草地)から望遠レンズでわれわれを追いかける設定である。21ピッチ目のクラックでは、トップが登ったあとロープをフィックスして,ピトンを回収したのち上からリードシーンを撮ることまでやった。
 さて2ルート63ピッチにウォーミングアップがすんで、つぎなるルートをどこにしようか南裏と相談した。
今回のヨセミテは、前年の疲れを癒すのが最大の目的だったが、ついつい欲が出て「ハードなのを一発やろうか」ということになった。それというのも、奥村輝ニ、浦野誠動といった若手が精力的にポンポン登り込んでいるし、坂下直枝氏もロスト・アローの社長という身にもかかわらず、2ヶ月の休暇をとってヨセミテを登りにきているからなのである。奥村はロスト・ワールド(5.10、A3+)、浦野はラーキング・フィア(5.10、A3)をそれぞれソロで登ったあと、2人でノーズ、ゾディアック(A3+)メスカリート(5・9、A4)を登っていた。坂下=渋谷英明ペアも後半の1ヶ月間にノーズ、サラテ、シールド、ハーフ・ドームのレギュラールートをたてつづけに登るという気合の入りようだ。キャンプ4にいるより壁の中にいた時間の方が長かったのではないだろうか?リハビリ気分に浸っているぼくらを奮いたたせるには十分効果的だった。そしてエル・キャップ南東壁のつるつるの前傾壁は、くすぶった登攀意欲をあおるにはもってこいの対象だ。
 南東壁がよく見えるマセッド・リバー岸辺の砂浜に裸で寝ころがり、トポと本物の壁を何度も見比べる。火照った身体を冷やすため川に飛び込んでひと泳ぎすると気持ちが大胆になってくる。
最初ニュー・ドーン(5・9、A4)を考えたが、どうせ行くならA5のサウス・シーズに行くか、ということになった。このルートは5ピッチ目にA5があり、11ピッチ目でパシッフィック・オーシャン・ウォ-ル(通称POウォ-ル、5・9、A4)に合流する。POウォ-ルはかなりポピュラーなルートだが、サウス・シーズはまだ数登(たぶん4、5登)しかされていない。サンタモニカのビーチでサハラ砂漠横断を考えているようなものだ。
双眼鏡でルートを追ってみたが、あまりにのっぺりしていてラインが読めない。視線は5ピッチ目のA5に集中する。「A5のとこやらしてもらってええか?」 ぼくも内心やってみたかったが、いままでA4すら登ったことがないので自信がない。ここは南裏にゆずるしかないだろう。
「どうぞ、いいですよ。」
 ぼくは頼もしいパートナーの存在で、気楽な気分でいるのを感じた。この垂直(実際はオーヴァーハングしている)のクルージングがまたしても、心と身体をぼろぼろにしてくれるとは、このときはまだ思いもよらなかったのである。 のんきな気分は、最初の1日で吹っ飛んだ。この日は3ピッチだけフィックスするつもりで取付いたのだが、あまり再登されていないルートは予想以上に手強かったのである。
まず1ピッチ目のA3で南裏が3、4㍍落ちた。2ピッチ目のA4では、ぼくがルートを見失い、浮いたフレークごとぶっ飛ぶところだった。南裏のリードした3ピッチ目もA2にしてはやけにテクニカルなネイリングだった。終了点から100㍍の空中懸垂で地面に戻ると、我々はくたくたに疲れきっていた。墜落した南裏はだいぶ自尊心を傷つけられたらしく、ちょっと弱気になっているように見える。1日だけ休養するつもりだったが、結局3日間も例の砂浜に寝そべって巨大な岩壁とにらめっこしてすごした。
 「やっぱり、やめようか」という話もでた。これからまだ23ピッチもある。登りだせば退却は不可能に近い。なにしろ100㍍の懸垂で壁から20㍍も離れてしまうのだから。でもこれといった口実も思いつかない。「ぼくがA5をやろうか」ともちかけ、とにかく行くことになった。
 取付く前夜はほとんど眠れなかった。テントの中、ひとりヘッドランプを点けトポを照らすと、「A5、イクスパンディング(拡張)」という文字がいっそう不気味に見えた。3ピッチ目の終了点から見た記憶と照らし合わせると、心臓の鼓動が激しくなる。自分がこのピッチをリードするのかと思うと心が重い。はやく眠らなければいけないと思っても、妙に頭が回転し始めて目を閉じることさえできなくなってしまった。

これがA5クライミング
 翌日は当然寝過ごした。6時半頃ヨセミテ・ロッジのカフェテリアに行き、パンケーキを腹いっぱい詰込み、キャンプ4をゆっくり出発した。まだ頂上は遠いのだから、少しぐらい出発が遅くなったところで変わらないだろう。逆ドーム状にえぐれた取付きから100㍍たっぷりのユマーリング。10日分の食糧と水で膨れたホールバッグを引っぱり上げると、ようやく4日前の場所にたどりついた。残置されたコパーヘッドのワイヤーがカビが生えたように見える。そのA3+を南裏が登る。「ビレイ解除」のコールのあと、ホールバックを上げる準備をする。フィックス・ロープをほうり投げて、渋谷君に回収をお願いする。ドサッと地面に落ちたロープを見ると「これで退却はできないんだ」という諦めと同時に後髪を引かれるような複雑な気持ちになる。次はいよいよA5のピッチだ。
 まずは5㍍ほどのA2ぐらいのやさしい?クラックを登り、リベット(浅い穴に打ち込まれた前進用ボルト。基本的には体重を支えるだけで墜落には耐えられない)のラダーに入る。下向きのフレークに数本のコパーヘッドが残置されている。恐怖感はなくただあそこを早く通りすぎたい、と思うだけだった。その残置に慎重に体重をのせる。5、6本のコパーヘッドを右にトラヴァース気味に登ると、自分がきわめて危なっかしい状況にいることがわかった。いま体重をのせているコパーヘッドが抜けたら、下のやつもつぎつぎと抜けて墜落していくだろう。どこまで落ちれば止まるのだろうか?
 ここから先は残置もなく、ギアラックからピトンを取りだしネイリングを開始する。ややフレアしたクラックのため、長めのナイフ・ブレードとロスト・アローをクラックの奥できかせるやり方が有効だ。次のピトンを打つときは、そいつにあらかじめセルフビレーをとり、もしいまのっているピトンが抜けても上のにぶらさがれる仕組みだ。
 キーン、キーン、キンと頼もしい音をたてて打ち込まれる。ビシビシッといやな音がしたかと思うと、不意に自分がのっていたピトンがガクリとおじぎをした。フレークが拡張しているのだ。
頭の中は真っ白になり、口の中には苦い液体がこみあげてくる。
 エル・キャップのハードなエイド・ピッチには、必ずといっていいほどいくつかの逸話が残されている。このピッチも「フレークが欠けて骨折者がでた」とか「だれそれが何十フィートも墜落した」とかいわれている。
 ほとんどがタイ・オフのネイリングを続けると、やっとリベットに近づいてきた。しかしもう1本打たなくては、リベットにワイヤーを掛けられない。しかもその1本は壊れそうなフレークにラープだ。口の中の苦い液体を200㍍下に吐き捨て、ゆっくり体重を移す。なんとか抜けずにいてくれた。緊張のあまり後頭部からーンという耳鳴りのような音が聞こえる。リベットからフックでやっとビレイ点にたどりついた。
 放心していると南裏がクリーニングして上がってきた。
「やったな」いってくれたが、ぼくの脳は声帯に命令さえできずに何も答えられない。「こりゃ、ビレイヤーもたまらんわ、緊張するわ」
 6ピッチ目はA4で、ダブルのギアラックをいっぱいにして南裏が登りだす。20㍍ほど登ったところで急に動きが鈍くなった。
左へのトラヴァースがどうしてもできないという。「いったん降ろしてくれ」ビレイ点まで彼をロワーダウンする。
「あかん、今日はここまでにしようや」
「大丈夫?」とぼく。
 A5のピッチでかなり右上してきたので、もはや降りることは完全に不可能だ。あとは上に進むしかないが、彼は元気がない。
ぼくもA5の恐怖が体中に充満したままだ。その夜は2人とも口数も少なく、ポータレッジの寝袋の中に静かにうずくまった。
 翌朝、南裏は暗い表情のまま昨日の最高地点までユマーリングした。
3、4㍍進んだがどうしても駄目だという。
「かわろうか?」
「そうしてくれるか、わるいな」
 再び彼をロワーダウンし、ぼくがユマーリングで上がる。壊れそうなフレークにストッパーやエイリアンがセットしてある。この上は浅いシン・クラックだ。フックからコパーヘッドを4発打ち、残置のRP、そしてまたコパーヘッドを打ち・・・・またしても
頭がキーンとしてきた。
そのあとはあまり覚えていない。

踊るポンポコリン
 つぎのA2を南裏。つぎはA4の下向きのクラックから振り子。
振り子の個所は、かぶっていて足が壁に届かないのでバックロープを引っぱってもらい、勢いよくビューンと飛んでいく。
「A4のところをユマーリングしたら、2本抜けたぞ。よく抜けへんかったな」
「ひえー、恐ろしい」
「もう遅いから、今日はここまでにしようや」
 ポータレッジを張り、サッポロ・ビールのプル・タブをプシューと開け、缶詰を食べる。過度の緊張が続いたので胃袋が食物をあまり受け付けない。すぐに腹になってしまった。
あたりが薄暗くなり、バレーに観光にやってくる車のヘッドライトが走る。
「やけに車が多いですね」
「車の音がうるさくてかなわんわ」
 そう、ここは一大観光地なのだ。人々はハーフ・ドームやエル・キャピタンを見上げ、歓喜する。なのに俺たちはこんなところで何をやっているのだろう。このポータレッジの上が天国だなんて彼らに説明しても、きっと理解してもらえないだろう。
「あれ、誰か歩いてくる」
ランタンの明かりが取付に向かっている。
「おーい、元気ですか~」
「渋谷君だ」
 彼はメスカリートの取付近くまで来ると焚き火をつけ、縦笛を吹きはじめた。キャンディ・キャンディ
、魔法使いのサリーなどのメドレーのあと、「何かリクエストは~」
「踊るポンポコリン~」ピーヒャラピーヒャラとやっている。
「つぎは~」
「南さおり~」少し間をおいて潮風のメロディーを吹いてくれる。
「じゃあ、ガンバッテー」
「ありがとう」
「ありがとう、おやすみ」
 いままでの疲れがすーと抜けていった。心なしか南裏の表情も明るくなり、関西弁のきついジョークが蘇ってきた。
 3日目。A3を2ピッチ登るとPOウォールに合流した。残置のプロテクションもぐんと増えて、人が登った気配がはっきり感じられる。

 夕方、いつもの通りポータレッジを張るためアルミのフレームと格闘していると、突然、「バサバサバサッ」とものすごい音がした。岩の崩壊かと思い身を伏せると、それはバサッと大きな物体に広がった。
「ウォー、やりよった」
「パラシュートだ!」
 ちょうどニュー・ドーンの終了点あたりから飛び降りたのだ。
少し間をおいて2人目、3人目とジャンプしてくる。ぼくらが歓声をあげると、彼らもそれに答える。

「へーイ、ガイズ・・・・・・」
 はっきり聞きとれなかったがお互いに興奮して奇声を発した。
3人目はパラシュートが開いたとき壁の方を向いたが、急旋回して難を逃れた。全部で4人がジャンプし、つぎつぎと川岸にランディングしていった。エル・キャップではこの手の冒険は禁止になっているので、パークレインジャーがやってくる前に慌てて逃げていったことだろう。やがて興奮が静まると、何となく我々だけおいてきぼりをくったようでしらけた感じになってしまった。

「つぎは、あれをやるしかないな」
 まったくこの人は懲りていないがぼくもその意見に大賛成だ。

あらゆる神は公平だ
 5日目になると南裏は完全復活をとげ、(たぶんパラシュチストを見て血が騒ぎだしたのだろう)登攀ペースは快調、もはや我々の行く手を阻むものは何もなかった。が、今度は空の方がどうもおかしくなってきた。ハーフ・ドームの方角から湧きだした真っ黒な雲がこちらに向かってきて、午後には雷が鳴りだした。こちらはアルミで身を覆った、さながら登る避雷針だ。
 翌日はいきなりA4から始まった。
「ウォーミングアップもなくていきなりA4かよ」
 ギア・ラックの整理をしながら文句をいう。南裏は「このピッチが保科君だったことをあらゆる神に感謝する」などと言っている。
 ビレイ点からフックの連続、かぶった個所でアブミの最上段に立ったりもした。浮いたフレーク、そしてフック。もうどうにでもなれ、といった気分だ。下では「ガンバ、ガンバ」などと場違いな応援をしてくれる。
 午後はまたしても雷雲がやってきた。ちょうど南裏が5・10のフリーのとき、どしゃ降りの雨になった。どうやらあらゆる神は公平だったようだ。もうあと3ピッチで終了だ。完登目前で「壁を一刻も早く抜けたい」という欲望が、急に頭をもたげてきた。
 しかし、終了点が近づくにつれ、なぜかビレイ点は貧弱なものになった。それまでは必ず3本以上のボルトが打ってあったのに最後のそれはボルトなしだ。
「ボルトを打て、打て!」と南裏が叫ぶ。ホールバッグは軽くなったとはいえ、荷上げはビレイ点に大きな負担がかかる。こんなところからビレイ点ごと吹っ飛ぶなんてまっぴらご免だ。下からボルトキットを送ってもらい、ドリリングする。打ち終わったあと「くそ-、バカヤロ-」を連発。
 あとワン・ピッチで壁を抜けられる。太陽はとっくに沈んですっかり暗くなってしまったが気持ちは頂上に行っている。ヘッドランプをホールバッグから取り出し、最後のA2のピッチを南裏が登る。
 ルーフを越えたところで彼の姿が見えなくなった。その先がどうなっているのかと聞くと、
「よく見えへんけど、グランド・イリュ-ジョンみたいなコーナーやで」という答えが返ってきた。5㍍ほど進んだところでロープがクラックに食い込んで動かなくなってしまった。
降りてきてそれを引っ張る。
「くそ-、こんなところで」と罵声をとばし、岩にパンチを浴びせてハンマーを振り回している。
ここまでくると2人の精神状態は狂気を帯びてきていた。
長期間の精神的ストレス、肉体もかなり消耗している。しかし、壁を抜けるというモチベーションを維持するには、こういった狂気は重要な要素だと思う。
 夜中の12時過ぎ、やっと平らな歩ける場所に立った。南裏は松の木にポータレッジを張り、ぼくは傾いた砂地に寝た。垂直、いやオーバーハングの世界から抜け出た安堵感で数日ぶりの深い眠りについた。ここなら寝返りを打っても大丈夫だ。南裏もポータレッジから落ちてもすぐ下の地面にころがるだけですむだろう。
 翌朝、ギアを整理して各自30㌔ほどの荷物を担ぎ、イースト・レッジに向かって歩いた。3ピッチの懸垂下降は、重い荷物が肩に食い込み、地獄の苦しみだ。下るにつれてバレー内の蒸し暑さが戻ってきて、みるみる汗が吹き出してくる。やがてトレイル傾斜が緩やかになると、文明社会の産物の排気音がけたたましく耳に入ってきた。舗装路からこっちに向かってだれか歩いてくる。
それは真っ黒に日焼けした「縦笛」の主だった。
 パーキング・エリアにたどりつき、バドワイザーのプル・タブをプシュッ。
「お疲れさま。おめでとう」
「ありがとう」
「どうもありがとう」
 太陽がギラギラと照りつけ、アルコールがボロボロの体を支配する。
「やっぱり、ビッグウォールはいいなあ」
と、このときやっと実感が湧いてきたのだった。